「書類文化」の功罪と,法廷録音問題
6月2日,ワタシが長年お世話になってきた東北電力株式会社と,グループ会社である東北電力ネットワーク株式会社が,自社の関係する一部の訴訟において,裁判長の許可を得ないまま法廷でのやり取りを録音していたことを公表しました。
報道によれば,他の大手電力会社で同様の事案が発覚したことを受けて社内調査を実施したところ,少なくとも2017年以降の複数の訴訟で,社員が法廷内のやり取りを録音していたことが確認されたとのことです。なお,法廷内での録音・録画については,民事訴訟規則により原則として禁止されており,裁判長の許可が必要とされています。
このニュースを聞いた瞬間,ワタシは「おそらく,報告書作成の精度を高めるためだったのだろうな」と感じました。そして同時に,「いかにも古巣らしい話だな」と,少し苦笑いしてしまいました。
もちろん,ルール違反はルール違反です。しかし,長年その組織に身を置いてきたワタシには,「なぜそういう行動に至ったのか」という背景も,何となく想像できる気がするのです。
一般に,お役所や歴史の長い大企業というものは,「紙」が大好きです。今は多少変わっているのかもしれませんが,ワタシがお世話になっていた頃の東北電力も,まさにそういう会社でした。
会議に出れば報告書。出張すれば報告書。行事に参加すれば報告書。ちょっとした打合せでも,「あとで部長に説明を求められたらどうするんだ」「監査で指摘されたら困るだろう」と言われ,文書作成を求められることが珍しくありませんでした。
若い頃のワタシは,正直,これが本当に苦手でした。
「口頭で済む話じゃないか」
「別に重要なことを決めた訳でもないのに」
そんなことを思いながら,イヤイヤ報告書を書いていた記憶があります。しかも,ようやく完成させた文書に,上司から大量の朱書きが入り,意味のない「てにをは」まで修正を求められる。あれはなかなか精神的に堪えるものでした。
ところが,ワタシはその後,霞が関の中央官庁に二年間出向する機会をいただきました。そこで待っていたのは,さらに徹底した「紙文化」です。
メモの取り方,事実の整理の仕方,文章の組み立て方,用語の使い方。そうしたことを毎日のように叩き込まれました。おかげで,若い頃に抱いていた「文書アレルギー」は完全になくなり,むしろ文書作成やメモ取りは,自分の得意分野になっていきました。
振り返ってみれば,サラリーマン時代の後半は,その「書く力」にずいぶん助けられたように思います。
今回の法廷録音の件についても,おそらく現場の社員としては,「あとで上司から細かく聞かれても困らないように」「報告書を詳細に作るために」という意識があったのでしょう。今はスマートフォン一つで簡単に録音できる時代ですから,「念のため録音しておこう」という発想になること自体は,ある意味自然なことなのかもしれません。
中には,「法廷内の録音には裁判長の許可が必要」というルール自体を,十分認識していなかった社員もいたかもしれません。
もっとも,「記録を残したい」という気持ちそのものは,決して悪いことではありません。問題は,「何を記録するか」よりも,「どのようなルールの下で記録するか」ということなのでしょう。
今後,デジタル化が進み,紙の書類は減っていくかもしれません。しかし,「事実を整理し,正確に文章で残す」という本質は,これからも変わらないはずです。
一方で,社員が「あとで怒られないため」に過剰な記録を求められるような組織文化は,そろそろ見直していく必要もあるのではないでしょうか。情報共有の方法も,もっと合理的で,現場に過度な負担をかけない形へ進化していくべきだと感じます。
そんなことを,かつてお世話になった会社のニュースを見ながら考えていました。
もっとも,行政書士になった今のワタシは,「記録を残すこと」の大切さを,サラリーマン時代以上に痛感しています。もっとも,こちらは法廷を無断録音するような話はありませんが,お役所では職員の方のお話をせっせとメモをとり,膨大な書類と格闘しています。つまり,ワタシにとっては,会社を辞めても膨大な書類を作成し格闘する世界からはまだまだ逃げられないようです。そうであれば,ワタシの場合,書類を作ることを得意にしてくれた,あの霞が関での二年間の経験を会社が与えてくれたことは本当にありがたかったわけで,いまでも心の底から感謝しています。

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