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泣き虫先生が遺したもの

「泣き虫先生」として知られた,元伏見工業高校ラグビー部監督の山口良治氏が,83歳で逝去されました。訃報に接し,ワタシの中で,昔の記憶や,指導とは何か,愛情とは何かという思いが,とりとめもなくよみがえってきました。

山口氏は,日本体育大学を卒業後,日本代表としてフランカーで活躍されました。1971年のイングランド代表とのテストマッチでは,ペナルティーゴールで日本唯一の得点を挙げた選手としても知られています。引退後は指導者の道を選び,京都市立伏見工業高校のラグビー部監督に就任しました。

当時の伏見工業は,決して恵まれた環境ではなく,校内も荒れ果てていたと伝えられています。そのチームを,山口氏は真正面からぶつかるような熱血指導で立て直し,1981年に全国高校ラグビー大会で初優勝,さらに1991年には2度目の全国制覇へと導きました。この最初の全国制覇までの歩みは,テレビドラマスクール☆ウォーズのモデルとなり,涙もろく不器用な教師像が,「泣き虫先生」という愛称とともに多くの人の心に刻まれました。のちにはNHKのプロジェクトXでも取り上げられています。

山口氏の指導を語るとき,どうしても「厳しさ」や「体罰」という言葉がついて回ります。現代の教育現場では,体罰や強い叱責は明確に否定されるものとなり,それは社会として仕方のないことだとワタシも思います。一方で,山口氏の指導が,単なる暴力や威圧ではなく,「信は力なり」という信条のもと,生徒と正面から向き合い,逃げずに関係を築こうとする姿勢に貫かれていたことも,また事実でしょう。

伏見工業からは,日本代表として世界を舞台に活躍した平尾誠二氏や,大八木淳史氏といった名選手が育ちました。それだけではなく,多くの教え子たちが,社会の中で自分の居場所を見つけていったことに,山口氏の指導の本質があったのだと思います。プロジェクトXに登場した初期の教え子である小畑道弘氏は,土木工事の会社を興し,「今の自分があるのは,すべて山口先生のおかげです」と語っていた場面は,ラグビーを超えた人間教育の証しとして,今も強く印象に残っています。

ワタシ自身の学生時代を振り返っても,今なら問題になるだろう指導や叱責は,決して珍しいものではありませんでした。そのすべてを美化するつもりはありませんし,教師の感情的な体罰に嫌悪感を感じたこともありましたが,信頼する先生の「本気で向き合われた」という熱い思いは,年月を経ても不思議と心に残っています。指導と体罰,厳しさと愛情。その境界線は,時代とともに引き直されるべきものですが,そこに「相手の人生を背負う覚悟」があったかどうかは,今も問われ続けている気がします。

早世した平尾誠二氏や小畑道弘氏ら先に旅立った教え子たちは,あの世で山口先生に再会し,「もう一度ラグビーを教えてください」と首を長くして待っていたかもしれません。今度は,「勝敗や練習量に追われる厳しいラグビーではなく,笑顔の絶えない楽しいラグビーを,一緒にプレーしてください。」

そんなことを思いながら,ワタシは静かに,泣き虫先生のご冥福をお祈りしました。

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