歴史を勉強しなかったことを,今になって少し後悔しています
ワタシは大学まで卒業していますが,実はこれまで一度も歴史をまともに勉強したことがありません。
高校時代,ワタシの通っていた学校では,高校2年生で世界史,高校3年生で日本史が必修でした。しかし,どうしても興味が持てず,授業はどこか上の空。試験では赤点すれすれを低空飛行し,時には見事に撃墜されて赤点を取るという有様でした。今となっては,当時学んだ内容はほとんど記憶に残っていません。
当時,ワタシは国立大学を志望していました。まだ「共通一次試験」の時代で,社会と理科はそれぞれ2科目を選択しなければなりません。そこでワタシが選んだのは,歴史ではなく「地理」と「政治・経済」でした。
先生や周囲の大人からは,「歴史を勉強しておかないと,大学へ行ってから苦労するぞ」と何度も言われました。しかし,当時のワタシにとって最優先は「大学に合格すること」です。
「大学に入ってからのことは,合格してから考えよう。」
そう考え,自身にとって「受験に有利な科目だけを選ぶ」という,今思えばかなり割り切った受験戦略を取りました。
当時は,東京大学のように二次試験で日本史や世界史が必須となる大学もありましたが,学力的に見合わないワタシはその心配をする必要はありませんでした。また,私立大学でも例えば,上智大学のように歴史が必須の大学は避け,数学や地理、政治・経済で受験できる大学を選びました(学部にもよりますが、ほとんどの私立大学は数学や地理,政治・経済での受験が可能でした)。
結果として,第一志望の国立大学には届かなかったものの,第二志望の私立大学には合格し,普通の人よりは少し時間がかかりましたが,無事に大学生になることができました。
そして,心配されていた「歴史を勉強しなかったせいで大学で苦労する」ということも特にありませんでした。ですから,当時の受験戦略としては,間違ってはいなかったと思っています。
ところが,40歳を過ぎ,仕事にも慣れ,ビジネスマンとして経験を積むようになるころから,少しずつ自分の中で違和感が生まれてきました。
「ワタシは歴史を知らなさ過ぎる。」
そんな思いが強くなってきたのです。
受験生だった頃のワタシにとって,歴史とは「暗記科目」でした。今と違い暗記が苦手だった当時は,できるだけ避けたい教科でしかありませんでした。
ところが社会人になって気付いたのは,歴史とは単なる暗記事項ではなく,「人間が当然知っているべき教養」であり,「人間が積み重ねてきた成功と失敗の記録」だということです。
時代ごとの政治や経済,人々の暮らし,戦争や外交,社会制度の変化。その一つ一つには,現代にも通じる教訓があります。
企業の仕事でも,「過去にどういう事例があり,その結果どうなったのか」を振り返り,次に生かしていくことは当たり前です。いわゆるPDCAも,同じ考え方と言えるでしょう。
そう考えると,歴史は過去を覚えるためのものではなく,「未来の判断材料」を学ぶものだったということに気が付いたのです。もっと若い頃にそのことに気付いていれば,歴史への向き合い方も違っていたかもしれません。
もう一つ,歴史を勉強しておけば良かったと思う場面があります。
それは旅行です。ワタシは旅行が好きで,全国各地を訪れますし,海外も多くの国を訪れています。
ところが,歴史的な街並みや史跡を訪れても,「きれいな建物だな」「景色がいいな」という感想で終わってしまうことが少なくありません。博物館や美術館へ行っても,展示の説明文を読んで理解するだけで,その背景にある歴史まではよく分からないのです。
もし学生時代に日本史や世界史をもう少し真面目に勉強していたら,同じ景色でも,全く違った見え方をしていたのではないかと思うことがあります。
もちろん,「今から勉強すればいい」という話ではあります。しかし,高校生のように試験という強制力があるわけではありません。忙しさを理由に,どうしても後回しになってしまいます。若い頃に学べることは,やはり若い頃に学んでおく意味があるのだと,今になって痛感しています。
「後悔先に立たず」とは,まさにこのことです。
とはいえ,行政書士という仕事をするようになって,少しだけ救われた気持ちになることがあります。相続や遺言,成年後見などの仕事では,法律だけでなく,制度が「なぜそのように作られたのか」という背景を知ることが大切です。法律もまた,過去の多くの失敗や社会の経験を積み重ねながら改正され,今日の姿になっています。
つまり,法律も一種の「歴史」なのです。
高校時代には歴史から逃げ回っていたワタシですが,気が付けば,仕事では毎日のように歴史の積み重ねの上にある法律と向き合っています。
人生とは,不思議なものだと思います。

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