エネルギー危機の現場で学んだこと,そして今
アメリカがイランに侵攻したことによる戦争は,現時点では終息の見通しが立っていません。おそらく当事者である指導者でさえ,ここまで長期化するとは想定していなかったのではないでしょうか。停戦に向けた明確な動きも乏しく,先行きは不透明なままです。
この戦争の影響で,日本が原油の約9割を依存するペルシャ湾の出口,ホルムズ海峡は事実上の閉鎖状態となり,中東からの原油供給は大きく制約されています。1973年の第一次オイルショック以降,同様の緊張は幾度となく繰り返されてきましたが,中東依存という構造を抱える我が国にとって,こうした事態は常に起こり得るものとして備えておく必要があります。幸い,日本にはおよそ8か月分の石油備蓄があり,直ちに国民生活に深刻な影響が出る状況ではありませんが,一日も早い事態の収束を願わずにはいられません。
一方で,この状況に対する報道の在り方には疑問も感じます。危機感を伝えることは重要ですが,国民を怖がらせ,不安を過度に煽るだけでは,国民の冷静な判断を妨げかねません。客観的な事実を丁寧に伝え,判断材料を提供することこそ,本来の役割ではないかとワタシは思います。
エネルギー危機というと,ワタシがかつて身を置いていた電力業界にも注目が集まります。もっとも,現在の火力発電では石油系燃料の使用は限定的で,主力はLNGや石炭へと移行しています。東北電力でも,ワタシが最後に勤務した秋田火力発電所が2024年に廃止され,石油を主燃料とする発電所は姿を消しました。その意味で,石油そのものの調達という点での影響は限定的かもしれません。しかし,石油,LNG,石炭といった化石燃料の価格は相互に連動します。原油価格の高騰は,結果として他の燃料価格にも波及し,電力のコスト全体に影響を及ぼすことは避けられないでしょう。
こうしたエネルギー危機は,残念ながら周期的に発生します。そしてそのたびに,現場では対応を迫られます。ワタシ自身も,サラリーマン時代にその渦中に身を置いた経験があります。
当時,ワタシは東北電力の燃料部でLNG調達を担当していました。インドネシアのアチェ地区では,1998年頃から民族紛争が激化していましたが,2001年,その影響でアチェ州にあるアルンLNG基地が操業停止に追い込まれました。この基地は,当社のLNG調達の大半を担う存在であり,供給が途絶えれば火力発電に重大な支障が生じかねない状況でした。
LNGは,天然ガスをマイナス162度まで冷却して液化し,大規模な設備と専用船で輸送する特殊なエネルギーです。そのため,生産者と購入者の間で長期契約に基づき厳密に取引されるのが一般的で,余剰分が市場に出回ることは多くありません。当時は現在ほどスポット市場も発達しておらず,必要量を臨時に確保することは極めて困難でした。加えて,国内での備蓄も20日から30日分程度と限られており,時間との戦いでもありました。
ワタシたちは,マレーシア,オーストラリア,カタール,オマーンなどのLNG供給先に対し,緊急の追加調達を打診しました。担当者総動員での交渉は決して容易ではありませんでしたが,非常事態を理解してくださった各国の関係者や,日本の商社の方々の協力により,何とか必要量を確保することができました。あのときの安堵感と,関係者への感謝の気持ちは,今でも鮮明に記憶に残っています。
エネルギー危機という言葉を耳にするたびに,ワタシはあの経験を思い出します。そして同時に,「困っている状況にどう向き合うか」という本質は,今の仕事にも通じていると感じます。
現在,ワタシは行政書士として,日常の「困った」に向き合う仕事をしています。規模こそ異なりますが,状況を正確に把握し,解決策を探り,関係者と連携しながら道筋をつけていくという点では,あのときの経験と本質は変わりません。困難な状況にある方に寄り添い,少しでも前に進むためのお手伝いをすること。それがワタシの役割だと考えています。
あのとき支えていただいた多くの方々への感謝を胸に,これからも目の前の「困った」に誠実に向き合い,解決へと導く力を磨いていきたいと思います。

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