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一歩ずつ身につける価値―修行と仕事の話

実業家の堀江貴文氏は,寿司職人の世界にあるとされる「飯炊き三年,握り八年」といった長期の修行慣行について,疑問を投げかけています。

堀江氏は,長い下積みが必ずしも技術の習得に直結するわけではなく,学び方や環境次第で,比較的短期間でも必要な技術を身につけることは可能だと指摘します。

また,寿司職人としての適性は修業年数の長さよりも,技術を吸収する力や感覚といった「センス」の部分が大きいのではないかとも述べており,近年の専門学校などの存在も踏まえ,従来の修行のあり方に一石を投じています。堀江氏は以前からこのような主張をされていましたが,最近この議論が再燃しています。

ワタシも,堀江氏の主張は,間違っているとは思いません。若いセンスのある料理人が専門学校やyoutube等で技術を学び,あとは実践の中で腕を上げてゆくという修行は可能でしょうし,センスのある職人なら,一流の寿司屋さんになることも可能でしょう。これからの新しい寿司修行のスタイルとして「アリ」だと思います,

ただ,寿司修行には,従来のような徒弟制に近い関係の中での修業というものも,これからも存続してゆくでしょうし,こちらもきちんとした合理的意味づけがあるように思います。要は,同じ職人になるための道は「ひとつではない」ということでしょう。

専門学校で学ぶ授業料,その間の生活費が自身でまかなえる方なら,必ずしも寿司屋に弟子入りしての修行は必要ないかもしれません。しかし,世の中には「寿司職人になりたい」とは思っても,自身の生活費をまかないながら,専門学校で技術を学ぶ経済的ゆとりのない人もいます。そういう人が寿司職人を志したなら,従業員として下働きをしながら,給料をもらい,その店の親方から時間をかけて技術を学んでゆくという道もあると思います。これもまた,立派な修行の形です。それは「搾取」というより,「学ばせてもらうことへの恩返し」に近いものだと思います。この一見遠回りな修行にも利点はあります。洗い物から修行を始め,飯炊きをし,板場に立つ,その修行のプロセスの中で寿司店経営の全体のノウハウを学習することができます。また,じっくりと時間をかけて個々の技術をしっかり学んでゆくことにもメリットはあります。人それぞれの事情の違いです。

すぐに役に立つものは,すぐに役に立たなくなる

そんな言葉があります。

短期間で身につく知識や技術も大切ですが,判断の勘や,失敗を回避する感覚,「微妙な塩加減や包丁さばき」とアナログな感覚はいった感覚は,どうしても時間をかけなければ身につきません。10年かけて一人前になれるのなら,そういう職人の道も,決して悪くないと思います。

そういう人にとって,店に入り,働きながら技術を身につけていく道が残されていること自体に,意味があるのではないでしょうか。

私は現在,行政書士として仕事をしています。

行政書士の業務は多種多様で,求められる知識も雑多です。

最初から何でもできる人など,だれもいません。

私自身も,まずは最低限の知識を身につけ,できることを一つずつ増やし,少しずつ経験を積み重ねながら仕事をしてきました。

にわか仕込みで覚えた知識を土台にしながら,時間をかけて判断力と引き出しを増やしていく。そうやって,お客さまに「頼んでよかった」と思ってもらえる行政書士になりたいと考えています。

寿司職人の修行の世界の「時間をかけて身につける価値」は,どの仕事にも共通する原理だと思います。私の業務である行政書士の仕事も,少しずつ経験を積み重ねながら判断力を養うことが大切です。仕事の学び方に,唯一の正解はありません。ただ,時間を味方につけて積み上げていく仕事のやり方も,今なお,十分に価値のある道だと,私は思っています。

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