駅伝と「宿命」と ― 『袈裟と駅伝』を読んで
今日は「出雲駅伝(出雲全日本大学選抜駅伝)」が開催されます。
この大会を皮切りに,11月の「全日本大学駅伝」,12月の「全国高校駅伝」,元旦の「全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)」,そして翌日の「箱根駅伝」へと,日本はいよいよ冬の駅伝シーズンに突入してゆきます。
ワタシは中学,高校時代に長距離を走っていたこともあり,駅伝の季節が来ると今でも胸が高鳴ります。チームの襷をつなぐ緊張感,白バイに先導され走る誇らしさと高まる気持ち,沿道の歓声,そして区間を走り終えた後の疲労と達成感——あの独特の空気はいくつになっても忘れられません。
そんな折,読んだのが黒木亮氏の『袈裟と駅伝』でした。著者の黒木亮氏(本名:金山雅之)は,金融・経済小説で知られる作家ですが,実は1970年代後半から80年代にかけて,早稲田大学の選手として、不世出のランナー瀬古利彦選手のチームメイトとして箱根駅伝を走った元ランナーでもあります。氏は,自身の競技人生をもとにした自伝的小説『冬の喝采』でも知られていますが,本作『袈裟と駅伝』は,その延長線上にあるともいえる読み応えのあるノンフィクションです(そしてこの小説でも、時々登場人物として金山雅之氏が登場します)。
主人公は北海道出身のランナー,大越正禅氏。寺の長男として生まれながら,「走ること」に情熱を注いだ人物です。宗派の掟と家の期待に縛られながらも,彼はランナーとして数々の大会で活躍し,やがては実家の寺を継ぎながらも走り続けました。競技者としての引退,そして僧侶としての苦悩と再生——作品は,一人の人間の「宿命」と「挑戦」を見事に描いています。
黒木氏の筆致にはいつもながら驚かされます。40年以上も前のレースについて,出場選手の記録やレース展開を克明に描写し,まるで目の前で競技が行われているかのような臨場感があります。ワタシもかつて長距離を走っていた者として,描写の一つひとつがリアルに感じられ,東京出張の往復の車中で一気に読み切ってしまいました。
また,本書のもう一つの魅力は「仏教」と「修行」の描写です。寺に生まれた宿命を背負いながら,僧侶としての道を歩む大越氏の姿には,人間としての苦悩と成長が刻まれています。ワタシはこれまで,僧侶の方々をどこか「安穏な世界に生きる人たち」と見ていたかもしれません。しかし,本書を読んで,僧侶の世界にもまた,厳しい規律と試練,そして深い人間ドラマがあるのだと気づかされました。
思えばワタシ自身,親から「勉強しろ!」と強く言われたことはあっても,進路や職業はすべて自分で選ぶことができました。寺の家に生まれた大越氏のように,宿命に縛られることもなく,自由に生きてこられた。そのことに改めて感謝の思いを抱きました。
そして,この「宿命」と「自由」の対比は,行政書士としてのワタシの仕事にも通じるところがあります。行政書士の仕事は,お客さまが抱える「制約」や「義務」を法の枠内で整理し,その中で最も自由な道を見つけ出すお手伝いをすることです。生まれや立場,制度や規則といった“見えない束縛”の中で,それでも自分らしく生きたい——そう願う人のために,お役に立つことが行政書士の使命だと感じています。
『袈裟と駅伝』に描かれた大越氏の生き方は,宿命を受け入れながらも,その中で自分の信じる道を走り抜けた人の物語でした。
ワタシもまた,自分の選んだこの道を,襷をつなぐように一歩一歩,大切に走り続けていきたいと思います。



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