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小さなウソが奪うもの ― 信頼を守るためのデッドライン

伊東市の田久保市長の経歴詐称に関するニュースを読み,ワタシは「開いた口が塞がらない」思いです。田久保市長は,東洋大学を実際には卒業していないにもかかわらず「卒業」と偽っていました。どれほど苦しい言い逃れをしたとしても,これは紛れもない「学歴詐称」です。

中には「東洋大学がどういう大学かは問題ではない」とか「卒業しているかどうかは大したことではない」という意見も見られます。しかし,本質的な問題はそこではありません。最大の問題は,「卒業していないのに卒業したとウソをついた」という一点に尽きます。つまり,この方は「別に政策判断には直接関係のない事項で,ウソをつくような信頼できない人物である」ということを自ら示したわけで,この一点を以って彼女は,市長という立場にふさわしくないのだとワタシは思います。

一方で,私たちの日常では「話を盛る」という行為は決して珍しくありません。ワタシ自身,40年前に就職活動をしていたころを思い出します。ある会社の人事担当者がニヤニヤしながら,「うちを受ける学生さんはサークルの部長や代表という人が本当に多いんですよ。あと,ボランティアしてる人も多いですねぇ」と言っていました。まるで「お見通しだよ」と言わんばかりの様子で,要するに多くの学生が自分を少しでも良く見せようとプロフィールを「盛って」いたということです。

今日,インターネットでこんな記事を見つけました。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/376588

この記事でも指摘されていますが,うそをついても,それによって不当な利益を得たり大きな迷惑をかけたりしなければ,ただちに犯罪になるわけではありません。しかし,法的に問題がないとしても「ウソをつく人は信用できない」というのが,ワタシを含め多くの人の実感ではないでしょうか。

確かに「ウソも方便」という言葉もあります。相手を思いやったり,場を和らげたりするための言葉のすり替えは,必ずしも否定すべきものではないと思います。しかし普通は,一度ウソをついてしまうと,その穴を埋めるためにさらに別のウソを重ねざるをえなくなります。その過程で矛盾が生じ,やがては大きな信用を失ってしまうことになりかねません。

士業という仕事は,人の信頼を前提として成り立っています。特に行政書士のような業務は,依頼者から「この人なら任せても大丈夫だ」という信用を得て初めて成立します。ですから,できないことを「できる」と言ったり,知らないことを知っているふりをしたりすれば,結局は依頼者の信頼を裏切り,大きな迷惑をかけてしまいます。そして最後には,仕事そのものを失うことにつながってしまいます。

今回の田久保市長の事例を通して,ワタシは「信頼とは正直さの積み重ねからしか生まれない」ということを改めて心に刻みました。ウソでつくられた肩書きや威信は,必ず崩れるときが来ます。ワタシ自身は,日々の業務において常に正直な対応を心がけ,本当に信頼される行政書士を目指して努力していきたいと思います。

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