甲子園から考える,高校野球の現在地
今年の夏の甲子園大会は,沖縄尚学高等学校の夏初優勝で幕を閉じました。140キロ台の直球を投げるエースと複数の好投手を擁し,攻守のバランスも整った同校は,全国の頂点に立つにふさわしいチームだったと思います。
ワタシの地元・宮城県代表の仙台育英学園は3回戦でこの沖縄尚学と対戦しました。終始互角の試合展開でしたが,延長タイブレークの末に惜しくも敗退。このときの須江監督が,試合後に勝者をたたえる姿勢を見せたことが大きな話題となり,マスコミからも称賛されました。普段は高校野球を熱心に見る方ではないワタシですが,地元の試合の素晴らしさと監督の態度に共感し,この大会では「沖縄尚学が勝つといいな」と自然に応援していました。
仙台育英の甲子園での活躍にはめざましいものがあります。3年前には東北勢として初めて夏の大会を制し,ついに深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えました(その前に,飛行機に乗って津軽海峡を越えているのですが,まあ,それは北海道の偉業ということで)。翌年も準優勝と,今や全国屈指の強豪校に数えられます。これからも素晴らしい戦いを見せてくれるのではないかと感じます。でも,それ以上に願うのは,かつて甲子園出場経験のあるワタシの母校が,もう一度聖地に立つ日を,生きているうちにぜひ見たいということです。
一方,この大会には残念な出来事もありました。広島県の広陵高校が部内の不祥事により,途中で出場辞退を余儀なくされたのです。ワタシが青春を過ごした昭和の時代には,運動部における理不尽なしごきや暴力沙汰が珍しくありませんでした。テレビでは,名門校出身のアスリートが当時の過酷な練習や風習を面白おかしく語る場面もみられます。しかし令和の今は,学校での教師の体罰は厳しく戒められ,家庭においても体罰は問題視される時代です。そんな時代に「まだそんなことやってるの?」と正直驚きましたし,辞退に至るまでのプロセスに後味の悪さも残りました。
また,部内の一部の不祥事によって,チーム全体が連帯責任を負い出場辞退となる処分にも疑問を感じます。もし暴力的な体質が部全体に蔓延しているのであれば,部としての処分も妥当でしょう。しかし,個人の非行に過ぎない場合は,その個人を罰すればよく,チーム全体を巻き込む必要はないのではないでしょうか。また,こうした判断を高野連の判断に任せきりにするのではなく,都道府県の教育委員会や監督官庁である文部科学省が適切にガバナンスを働かせる仕組みが必要ではないかと感じます(そもそも,野球だけは高体連とは無関係に大会を運営しているという今の状況は異常であり異様であると思います)。
また,長年「夏の風物詩」として親しまれてきた甲子園ですが,気温上昇に伴いリスクが増しているのも事実です。近年はクーリングタイムの導入や延長タイブレーク制など,安全への配慮が進んでいますが,それでも猛暑の中での試合は過酷です。そもそも,なぜ真夏の最も暑い時期に,酷暑の地,関西の日よけがほとんどない古い球場で開催し続けるのか。近隣には快適な環境の大阪ドーム(京セラドーム大阪)もあります。それでも「甲子園」にこだわる理由は,球場の歴史や「高校野球=甲子園」というブランドの力なのでしょう。しかし,そのような理由は,高校生を熱中症の危険に晒してまで「試合をしても良い」という理由にはなりません。もはや,時代に即した合理的な改善を検討する時期に来ているのではないかと思います。
今年の大会は,沖縄尚学の快挙や仙台育英の健闘に胸を熱くすると同時に,制度や慣習の問題を改めて考えさせられるものでした。高校野球は,ただ勝ち負けを競うだけではなく,社会の価値観や教育のあり方を映し出す鏡でもある。そう感じながら,今年の甲子園を振り返りました。

コメントを残す