「静かな退職」と「妖精さん」(前編)
最近,「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉を耳にすることが増えました。これは仕事そのものを辞めるわけではなく,与えられた最低限の業務だけを淡々とこなすという働き方を指します。主体的に新しいことへチャレンジすることもなく,昇進や評価を追い求めることもありません。決められた範囲内で働き,固定給さえもらえれば十分だという考え方です。
このような価値観は,ワタシの若い頃には想像もできないものでした。ワタシが社会人になったバブル時代は,「企業戦士」や「24時間戦えますか」といった言葉が流行し,「男子一生の仕事」という言葉に象徴されるように,仕事に人生を捧げるのが美徳とされていました。深夜まで働いたり,休日出勤を当たり前のようにこなしたりと,仕事が生活の中心にありました。
しかし,今の若い世代は「見切るのが早い」とも言われます。出世や昇給を目指してがむしゃらに働くよりも,自分の時間や趣味,家族との時間を大切にしたいという価値観が主流になってきたように感じます。仕事はあくまで生活を支える手段であり,人生の目的ではないという姿勢です。こうした変化に,ワタシは時代の移り変わりをひしひしと感じます。
もちろん,「静かな退職」は一見するとストレスの少ない,合理的な働き方のようにも思えます。自分を守るという意味でも,無理をせず,最低限にとどめるというのは一つの選択肢でしょう。しかし,スキルや経験を深めずに働き続けてしまうと,会社の業績が悪化した際,真っ先にリストラの対象になる可能性もあります。特に,終身雇用制度が揺らいでいる現在では,将来への備えは企業任せではなく,個人にも責任が求められているのだと思います。
このような状況は,働く個人の問題だけではありません。企業側の「人の使い方」にも大きな問題があります。マズローの欲求5段階説や,ハーズバーグの動機づけ・衛生理論などによれば,人はまず安全や生活の安定を求めますが,次第に「承認されたい」「尊敬されたい」といった高次の欲求を持つようになります。企業がこのような「働く個人の欲求」の心の仕組みから目をそらし,生産性だけを追い求め,単に仕事を割り振るだけでは,働き手のモチベーションは育ちません。高い給料をもらっている管理職・マネージャーは,日頃から個々人をよく観察し,丁寧なコミュニケーションをとり,成果については正当に評価し,時にはおだて,励ますことも,組織全体の活力を生み出すために重要なスキルだとワタシは思います。
(後編に続く)

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