飲酒運転を絶対に許さない――5月22日「宮城県飲酒運転根絶の日」に寄せて
今日,5月22日は「宮城県飲酒運転根絶の日」です。この日は,平成17年5月22日に多賀城市の国道45号線で発生した悲惨な飲酒運転事故を忘れないために定められました。仙台育英学園高等学校の生徒三名が,学校行事の最中に命を奪われたこの事件は,今もなお,ワタシの心に深い悲しみと怒りを残しています。
ワタシは,飲酒運転を心の底から憎む人間です。飲酒運転は,絶対にあってはならない犯罪行為です。ワタシは「飲酒運転は『未必の故意』による殺人,傷害行為である」と考えています。ハンドルを握る者が酒を口にし,その状態で車を運転する――それは,結果を想像する力を放棄し,他人の命を軽視する行為です。その無責任な判断が,どれほど多くの尊い命を奪ってきたことでしょうか。
警察や行政も,飲酒運転撲滅に向けて様々な対策を講じています。しかし,残念ながら飲酒運転はなくなりません。飲酒運転による事故は悲惨であり,被害者やその家族の人生を一瞬で壊してしまいます。たとえ事故を起こさなくとも,飲酒運転で検挙されれば免許停止や免許取消という厳しい罰則が科され,社会的信用を失い,仕事や家庭にも深刻な影響を及ぼします。飲酒運転の代償はあまりに大きいのです。
それでもなぜ,飲酒運転はなくならないのでしょうか。おそらく,社会の99%以上の人々は飲酒運転が犯罪であると理解しています。しかし,ごく一部の人々は,どれほど啓蒙されても飲酒運転をやめることはありません。彼らの存在こそが,飲酒運転撲滅を困難にしているのです。
それでもワタシは,飲酒運転の根絶を心から願っています。特に,「絶対にやらない」とは言い切れないが,「確信犯的に飲酒運転を行うわけではない」という人々に向けた啓発が重要であると考えています。ただ「飲酒運転は絶対にだめだ」とただ繰り返すだけでは,十分な効果は期待できません。むしろ,「どの程度の飲酒が運転に影響を与えるのか」「ビール1本を飲んだ場合,運転できるまでにどれくらいの時間が必要か」「飲酒運転で検挙されると社会的にどれほどの代償を払うことになるのか」――こうした現実的な情報を,繰り返し丁寧に伝えていくことが重要だと,ワタシは考えます。
悲劇を二度と繰り返さないために,ワタシたちは決して諦めてはなりません。ワタシは,飲酒運転を憎みます。そして,飲酒運転が完全に根絶される未来を切に願い続けます。
飲酒運転は,絶対に許されない犯罪です。一人ひとりがそのことを胸に刻み,決して飲酒運転をしない社会を築いていくことが求められています。

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