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思い出に残る上司

ワタシは35年間サラリーマンをしていたので,職場には必ず「上司」がいました。ほとんどの方は,尊敬できる立派な方でしたが,中には思い出すのもイヤな,二度と会いたくないような「人間のクズ」のような奴もいました。今日は,お仕えした多くの上司の中で,ワタシがもっとも印象に残り,また一番影響を受けた方の話を書きたいと思います。

入社して15年が過ぎた頃,ワタシは福島支店の総務部企画課への異動を命じられました。企画課の係長です。企画課は課長,係長,担当者2名という少数精鋭のユニットでした。辞令を受け,支店に赴くとものすごく目つきの鋭い方が座っています。この方が,今度ワタシの上司になるA課長でした。

A課長,とにかく仕事には一切の妥協がない,とても厳しい方でした。どんな小さい仕事でも全力投球,企画書を作って持って行くと,一行一行「前提」「目的」「背景」「意図」「納期」「進め方」と厳しいチェックが入り,一貫した論理性が求められます。前例踏襲なんて言う安易な判断は絶対に許されません。必ず確固とした考え方が求められるのです。ワタシのようなある程度経験のある管理職にならわかりますが,入社数年の若い社員にも一切容赦なしです。自分の企画について,きちんと説明できなかったり,少しでもおかしいところがあると容赦なく「ダメ出し」が入り,厳しい口調で叱責されました(これが本当にコワイのです)。今までに出会ったことのない,「本当に恐ろしい上司」でした。でもこのA課長の指摘は,まさに正論で一切の私心がない「おっしゃるとおり」のものなのです。A課長とお付き合いするにつれ,課長のモノの考え方や仕事のやり方がわかると,厳しいながらも,仕事が進むようになり,そして仕事が楽しくなってきました。また,A課長は,仕事以外では「ものスゴく優しい」のです。夜8時くらいまで残業すると,「じゃあ勉強会に行くか」と課長から声がかかります。部下3名はおとなしく従い,いそいそと連れ立って,行きつけの居酒屋やワインバーなどで勉強会が始まります(自分の時間を大切にする今の若い人では,多分考えられないことだと思います。でも,本当に面白く、自分が成長するために大切な役に立つ時間でした)。話題は会社の経営,エネルギー業界の話,日本経済の話など本当に多岐にわたります(職場の話とか、同僚の悪口とか、そういったくだらない話は一切なかったように思います)。このときばかりは,上司も部下も関係ありません。みんな忌憚のない意見を出し議論は白熱し,時には「翌日の仕事に支障があるのでは?」と思うほどお酒も進みました。この時の話題で,特に面白く,いまでも役に立っているのは,A課長の持つ企業戦略やマーケティング,仕事の進め方などについての豊富な知見でした。本当に引き出しがたくさんあり,その時に学んだことはワタシの頭の中で「血になり肉になり」,今,全く違う仕事をしていても本当に役に立っています。前述の通り,仕事中は非常に厳しい方でしたから,日中は事務所内にはピリピリとしたものすごい緊張感が漂っていたので,周囲の課長さんから「企画ってあんなに厳しい課長なのにどうしてみんなあんなに仲が良いの?」とよく聞かれたのを思い出します。残念なことにA課長にお仕えしたのはわずか1年間でしたが,その後も同窓会は続き,毎年1回くらいは顔を合わせ,当時の話に花が咲きます。

ワタシはいまでも仕事をするにあたり,企画を作り,判断をするとき「A課長ならなんて言うかな?」と考えるのが習慣になっています。当時の経験は,ちゃんと今の仕事にも生きているのです。あの頃は,緊張が絶えない,「恐怖の日々」でしたが,今思うと素晴らしい宝物のような一年間でした

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