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毎日,長時間働くのが怖くなった話

ワタシがサラリーマンとしてのキャリアをスタートしたのは平成元年のこと。世はバブル真っ盛りの時期でした。街は好景気に沸き,テレビには栄養ドリンクのCMで「24時間戦エマスカ」なんていうキャッチが流れていました。

当時は,「働き方改革」などという言葉もなく,日本中のサラリーマンが,パワハラ上司の下,忙しく深夜まで働いていた時代だったと思います。入社したばかりのワタシは当然20代。体力には自信があったので,毎日,遅くまでバリバリに働いていました。そして,30歳の時,ワタシは経済企画庁に出向したのですが,そこでの働き方は,さらに猛烈でした。当時の霞ヶ関は24時間眠らない不夜城のような雰囲気で,大通りに面した財務省の建物には夜中でも煌々と明かりがついており,庁舎の前には,深夜帰宅の職員を待ち受ける個人タクシーがズラリと列を作っていました。ワタシも栄養ドリンク片手に毎晩遅くまで残業し,終電に駆け込む日々で,日付が変わり,タクシーにお世話になる事もありました。休日は,せっかく東京にいるのに出歩きもせず「寝るだけ」で終わる事もありました。当時,結婚したばかりだった妻は当時のワタシの行状に「そのうち,死んじゃうかも」と心配していたらしいですが,当の本人は,そんなことを知る由もありません。この生活は,仙台に戻ってからも変わらず,霞ヶ関時代ほどではないにせよ,毎日遅くまで働く日々が続いていました。

そんなある日,会社の仲の良かった友人が急死するという事件が起こりました。この友人は,高校の陸上競技部の後輩だったのですが,どういうわけか会社に入社したときには「同期」になってしまい,おまけに配属されたのも同じ事業所同じ課の隣の係でした。ワタシと違い、とても優秀で,「賢弟愚兄」みたいな関係で,入社当初は,同じ独身寮に住み,毎晩のように飲み歩いていた友人でした。

奇しくも,彼が亡くなる前日の夜,缶コーヒーを買いに行った社内の自動販売機の前で,その彼とバッタリ遭遇し,お互いの近況を話し,「落ち着いたら飲みに行こうぜ」と言葉を交わし別れていたので,初めは彼の死を信じることが出来ませんでした。彼が亡くなった原因はわかりませんが,ワタシ同様,彼も毎日遅くまで働いていたようですので,ワタシの想像通りなのかと思っています。

この事件があったあと,自分の生活を顧みると「あの時,死んだのは,たまたま彼だったけど,オレが死んでいてもおかしくなかった」と思いました。そう考えたら,それまでの,健康のことなど微塵も考えない,体力任せの無鉄砲な生活が本当に怖くなりました。

その日を境にワタシは,これまでの無軌道な長時間労働は「自分の寿命を削って」働いているのだと自覚するようになりました。突発的な事象の時以外は常識的な時間に仕事を切り上げ,帰宅することを心がけ,疲れた時に栄養ドリンクを飲むのもやめました。その後のワタシの働き方を,当時の上司や同僚がどのように見ていたかはわかりませんが,おかげで大きな病気もせず,定年まで働くことができ,元気にセカンドキャリアに挑戦し,充実した日々を送れています。

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