挑戦して失敗することはあっても,挑戦しないで,あとで後悔するようなことはするな!其の壱
「挑戦して失敗することはあっても,挑戦しないで,あとで後悔するようなことはするな!」。ワタシは,40歳の頃から,人生の選択をするとき,この言葉を思い起こし,判断するようにしています。これは,経済評論家の大前研一先生の言葉で,ワタシの「座右の銘」にもなっています。アラフォーの頃に初めてこの言葉を聞いたのですが,「自分の人生の残りを考え,これからの人生では,挑戦できるチャンスがあれば,逃さず挑戦してゆきたい」と考えるようになりました。それまでの人生の中でも,挑戦し失敗したこと,「自分には無理」と初めから諦めたこと,挑戦したかったけど,結局やらずに後悔したことなど多くの出来事がありました。人生の終盤になった時,「あのときアレをやっておけば良かった」などという後悔で人生を終えたくはないので,「コレ!」というものには積極的に挑んでいこうと考えています。
ワタシにとって,「人生最大の後悔」というのは25歳の時にやってきました。今とは違い,テレビ業界が元気で,勢いもお金もあった頃,日本には「アメリカ横断ウルトラクイズ」という番組がありました。5万人の挑戦者を東京ドームに集め,○×クイズで挑戦者を100人に絞り,成田空港から飛行機でアメリカに渡り,クイズを行い,挑戦者を絞り込み,最後に残った二人がニューヨークでクイズ王を賭けて戦うという,スケールの大きいクイズ番組でした。初めて放送されたのは,1977年,ワタシは中学校1年生でした。この番組を初めて見たときの驚きと感動は今でも忘れることが出来ません。そして「自分もいつかクイズ王になりたい」と思い,クイズの世界に飛び込んだ人は,ワタシを含め少なからずいたと思います(同世代の「クイズの友達」はみんなコレです)。それ以来,クイズ王が書いた必勝本を買い集め勉強し,「アップダウンクイズ」「タイムショック」「アタック25」といった視聴者参加番組に挑戦したりと,ワタシの青春時代は「勉強そっちのけ」でクイズ一色で塗りつぶされて行きました(あまりに「クイズの泥沼」にはまりすぎて、大学受験では浪人する羽目になりました)。
そしてやっと大学に入り,入会したのは憧れの「クイズ研究会」。ようやくウルトラクイズに挑戦する資格を得たのは1985年。東京ドームはまだなく,後楽園球場で開催されていた第9回大会でした(最後の後楽園開催でした)。それ以来,予選での敗退が続き,4度目の挑戦で迎えた第12回大会,とうとう念願の第一次予選を突破しました。本当にうれしく,「よし!ニューヨークに行くぞ!」と意気込んだのも束の間,ウルトラクイズの成田招集の日が,第一志望の会社である東北電力の就職試験と重なることが判明したのです。そう,当時ワタシは,大学4年生,絶好調就職活動中だったのです。まさに,「青天の霹靂」でした。

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