凜とした立ち姿が語るもの
■圧倒された栄誉礼の光景
1月15日から17日にかけて,イタリアのジョルジャ・メローニ首相が来日し,日本の高市早苗首相と首脳会談が行われました。両国ともに初の女性首相同士の会談ということもあり,テレビや新聞で大きく報じられ,記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
外国の国賓や公賓といった要人が来日した際には,首相官邸などで歓迎の「栄誉礼及び儀仗」が行われます。今回も,陸上自衛隊の特別儀仗隊と中央音楽隊による,格式ある式典が執り行われました。
高市首相に付き添われてメローニ首相が会場に姿を現すと,厳かな音楽が流れ,壇上に昇った後,イタリア国歌「Il Canto degli Italiani(レプッブリカ・イタリアーナ)」と日本国歌「君が代」が演奏されました。両国国歌が流れる中,静かに佇む両首脳の姿は実に凜々しく,ワタシは思わず「カッコいい」とつぶやいてしまいました。
これまで外国要人の来日時の栄誉礼を何度も目にしてきましたが,両首脳が女性であるという新鮮さに加え,立ち姿,表情,所作の一つひとつが際立っており,国を代表する首脳としての風格と上品さを強く感じました。
■顔つきは生き方の結果である
ここでワタシが思い出したのが,アメリカ第16代大統領リンカーンの言葉です。
「40歳を過ぎた人間は,自分の顔に責任を持たなければならない」。
これは外見の美醜で人を判断せよという意味ではなく,「年齢を重ねた後の顔つきは,その人がどう生き,何を信じてきたかの結果である」という趣旨で語られた言葉だとされています。
そう考えると,今回の両首脳の表情は,単に「美しい」「格好いい」という言葉では足りず,これまでの政治家としての歩みや覚悟がにじみ出た,まさに“責任ある顔”だったのだと感じました。
■身だしなみは仕事への覚悟の表れ
この光景を見て,ワタシは自然と,自身の身だしなみについて考えるようになりました。
以前にもこのブログで触れたことがありますが,ワタシは行政書士として独立してから,「生まれつきの造作は変えられなくても,身なりは整えられる」ということを強く意識するようになりました。
少しずつ薄くなってきた髪を整え,ひげを剃り,ネクタイを締め,きちんとしたスーツを身につける。親しいお客さまの場面では多少カジュアルなジャケットを選ぶこともありますが,夏以外,基本は「スーツにネクタイ」を崩しません。
それは,きちんとした身なりと立ち居振る舞いが,ビジネスマンとして,お客さまと同じテーブルに着くための最低限の条件だと考えているからです。ワタシの実力や評価は,その“先”にあるものだと思っています。まずは,「この人の話を聞いてみよう」と思っていただくことが大切なのです。
■独立して変わった意識
正直に言えば,サラリーマン時代のワタシは,「雇われていて生活は安定している」という安心感と甘えから,スーツを着てはいたものの,その質や身だしなみには無頓着でした。
独立後は考え方ががらりと変わりました。サラリーマン時代に着ていた少しくたびれたスーツやワイシャツは処分し,多少値が張っても,仕立ての良い,身体に合ったものを選ぶようになりました。すると不思議なことに,身なりを整えることで気持ちまで前向きになり,お客さまと向き合う中で建設的なアイデアが浮かぶことが増え,日々の仕事に充実感を覚えるようになったのです。
先日,「いい顔になった」と言われることが増えた,という話をこのブログに書きましたが,それもきっと,身だしなみを整えることで内面の姿勢が変わり,それが自然と表情に表れているのかもしれません。
■凜とした姿に学ぶこと
メローニ首相と高市首相の栄誉礼での凜とした立ち姿は,ワタシにとって,自分自身の仕事への向き合い方を改めて見つめ直すきっかけとなりました。
身だしなみは単なる外見ではなく,覚悟と責任の表明なのだと,あらためて感じた次第です。
それにしても、メローニ首相と高市首相かっこよかったな!両国のこれからの友情がどう発展するか楽しみです。

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