同窓会で友を偲び、これからの生き方と「その後」を考えた正月
正月休みに、恒例となっている高校時代の同窓会がありました。
六十代の同窓会というと、「勝ち組」「負け組」に分かれ,「居心地が悪くなるから行かない」という話を耳にすることもあります。しかし、ワタシたちの同窓会は少し様子が違います。42歳の厄年のお盆に始まり、以来、お盆と正月に欠かさず続いてきました。もう20年近くになります。
参加する顔ぶれはだいぶ固定されており,気心の知れた仲間ばかりです。毎回きちんと企画してくれる幹事の方には、感謝しかありません。また,六十歳を過ぎてからは、新たに顔を見せる地元に戻ってきた仲間も加わり、今年も楽しい会になりました。
その席で、ひとりの友人の訃報を知りました。高校時代から親しく、ワタシが初任地として盛岡市に勤務していた頃には、彼も盛岡に住んでいたので,飲み歩いたり,親しい交流がありました。お互いの結婚式にも出席し合った、長い付き合いの友人です。その名前を聞いた瞬間、胸の奥が静かに、しかし確かに重くなりました。
ワタシは今年,62歳になります。
高校を卒業してから44年。少しずつ、同級生の中にも物故者の名前を聞くようになりました。皆が集まり、笑い声の絶えない同窓会であっても、どこかに寂しさが混じるようになってきたのは、自然なことなのかもしれません。
同時に、「ワタシ自身も、いつ死んでもおかしくない年齢になったのだ」という事実を、はっきりと自覚するようになりました。だからこそ、これからは一日一日を精一杯生き、悔いの残らない時間を重ねていきたい。そう思うようになりました。
そしてもう一つ、強く感じたことがあります。
それは、「もし自分が突然いなくなっても、残された家族にできるだけ迷惑をかけないよう、備えておかなければならない」という思いです。具体的な内容をここで詳しく書くことは控えますが、これから少しずつ時間をかけて、準備を進めていこうと考えています。
では、どのような備えが考えられるでしょうか。
多くの方が、まず思い浮かべるのは「遺言」ではないでしょうか。自分が亡くなった後、財産をどのように引き継いでもらうのか。何も意思表示をしなければ、相続は民法の定めに従って機械的に進められます。また、法定相続人がいない場合には、生前に遺言を残していなければ、財産は最終的に国庫に帰属することになります。
遺言の方法としては、公証人が関与する「公正証書遺言」が確実です。一方で、費用がかかるという側面もあります。比較的手軽な方法として「自筆証書遺言」もありますが、民法で定められた方式に従わなければ無効になるリスクがあります。こうした点について、行政書士がお手伝いできる場面も少なくありません。
また、遺言とは別に、「エンディングノート」を活用するという方法もあります。
エンディングノートには、法的な効力はありませんが、自分の思いや希望、葬儀やお墓のこと、各種契約や連絡先などを書き残しておくことで、残された家族の負担を大きく減らすことができます。遺言が「法律の文書」だとすれば、エンディングノートは「感謝の気持ちと生活の引き継ぎを記したお手紙」と言えるかもしれません。
ワタシは行政書士として、遺言やエンディングノートに関するご相談をお受けすることがありますが、多くの方に共通しているのは、「死の準備をしたい」というよりも、「家族に余計な心配をかけたくない」という思いです。その思いを、制度や書面という形に整えていくことが、ワタシたちの役割なのだと感じています。
友の訃報に接した今年の同窓会は、ワタシにとって、これからの生き方と、その先のことを静かに考えるきっかけとなりました。
限りある時間を大切に生きること。そして、その時間の終わりに、残された人が困らないように備えておくこと。どちらも、今のワタシにとって欠かせないテーマです。

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