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ベガルタとともに歩んだ30年余

日曜日ということで,今日はベガルタ仙台の話をします。

昨日、街の書店を歩いていると,ふと目に留まった一冊――『ベガルタ仙台30年誌』。迷うことなく手に取り,購入しました。ページをめくるたびに,これまでの懐かしい思い出が次々と浮かんできます。

ベガルタ仙台は,ワタシが長年お世話になった東北電力のサッカー部を前身とするクラブです。1988年に創部された東北電力サッカー部は,1994年に「東北にJリーグクラブを」というスローガンのもと,地域リーグからの挑戦を開始し,「ブランメル仙台」として産声を上げました。その後,JFLを経て1999年にJリーグへ加盟。クラブ名を「ベガルタ仙台」と改め,2001年には念願のJ1昇格を果たしました。

ワタシが初めて試合を観戦したのは,創立以前の1993年12月。宮城野原陸上競技場(当時)で開催された天皇杯1回戦「東北電力対三洋電機洲本戦」でした。その前の試合では,鹿島アントラーズ対日本鋼管戦が行われ,ピッチに立つジーコの姿を初めて目にしました。東北電力は初戦を勝ち抜き,2回戦で鹿島と対戦。先制点を挙げるも,最終的には1-6で敗れました。この試合で,ジーコに決められたヒールキックによるゴールは,今でも「スーパープレー」として語り継がれ,何度もテレビで放映されています。

2001年のJ1昇格以降,ベガルタ仙台はJ1とJ2の間を行き来する,いわば“昇降の宿命”を背負ったクラブとなりました。2003年からはワタシも年間チケット会員となり,以来ずっとベガルタと苦楽をともにしています。

ブラジルには、「ひいきのサッカーチームを持つのはバカ息子を持つようなものだ(Ter um time de futebol é como ter um filho burro)」ということわざがあります。愛する息子のように,どんなに失望させられても,見捨てることができない存在。そして、時には口では言い表せないほどのものすごい喜びをもたらしてくれる存在――それがひいきのサッカーチームであり,ワタシにとっては、ベガルタ仙台なのです。

これまで,「ここが勝負だ!」と思う試合を何度落としたでしょうか。J2への降格という絶望も2度味わいました。しかし,歓喜の瞬間もありました。特に忘れられないのは,東日本大震災後の2011年4月23日にアウェイ等々力陸上競技場で開催された川崎フロンターレ戦での逆転勝利。敵地のスタンドで涙とともに味わった歓喜は,今も忘れることができません。

2012年シーズンには優勝争いを演じ,震災復興に奮起する宮城県民に大きな勇気を与えてくれるとともに,全国に「ベガルタの名」を刻みました。翌年のACL(アジアチャンピオンズリーグ)では初めて日本代表として、エンブレムの上に日の丸のついたユニホームでアジアの代表チームと戦い,さらに2018年の天皇杯ではクラブ初の決勝進出を果たし,大きな夢を見せてくれました。きっと近い将来,また大きな喜びを与えてくれるはずだと信じています。

ワタシは今も毎年,「年間チケット代」という“お小遣い”を愛すべき「バカ息子」に渡し続けています。そして,いつか再び大きな喜びをもたらしてくれると信じています。ベガルタ仙台は、ワタシにとって「ライフワーク」であり,もはや人生の一部なのです。

さて,『30年誌』の最後には「東北電力サッカー部物語」という記事が掲載されていました。プロクラブとして船出した後もしばらくは、東北電力の社員選手がリーグを戦っていました。普段一緒に仕事をしていた仲間がJFLの舞台で闘っている――それは社員としての誇りであり,ワタシがサッカーに興味を持ち,応援を始めるきっかけにもなりました。

記事には懐かしい顔ぶれやエピソードが綴られており,まさに「ベガルタ仙台前史」を堪能するひとときでした。あの頃の熱気と誇りは,今もワタシの心の中に息づいています。

ワタシは,これからも,ベガルタ仙台とともに歩み続けます。勝っても負けても,歓喜も絶望もすべてがワタシの人生の一部。スタジアムで声援を送りながら、次の奇跡の瞬間を信じて――。

“ベガルタとともに歩んだ30年余” への2件のフィードバック

  1. 瀬間康仁のアバター
    瀬間康仁

    ベガルタ仙台は出来の良い息子ですよ。
    我が息子はホントにバカ息子で苦労してます。

    1. userのアバター

      バカ息子の方が,勝ち上がったときの喜びも大きいもの。
      うちのバカ息子は、昨日もやらかしました。

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