最新情報NEWS

揺れの記憶と備えのかたち——ワタシが考える「その先の安心」

4月20日16時53分、三陸沖を震源とする地震が発生し、青森、岩手、宮城など東北各地が大きな揺れに見舞われました。地震の規模はマグニチュード7.5〜7.7程度と非常に大きく、震源も比較的浅いものでしたが、最大震度は震度5強にとどまりました。それでも津波警報が発表され、実際に各地で津波が観測されるなど、決して小さくはない地震でした。建物の一部損壊や負傷された方もおられたようですが、東日本大震災のような甚大な人的被害に至らなかったことは、不幸中の幸いであったと言えるでしょう。

このときワタシは、愛犬の散歩で外に出ていました。犬と歩いている最中、スマホから,けたたましい音で緊急地震速報が鳴り響きました。ほどなくして、地面が波打つように揺れ始め、電柱や街路樹が大きくしなる様子が目に入りました。ワタシはこれまで屋内で地震を経験することがほとんどでしたが、屋外での大きな揺れは初めてでした。屋内では家屋が軋み、「これは地震だ」と直感的にわかるのに対し、屋外ではまるで船の上にいるような、不思議でつかみどころのない揺れ方に感じられました。

それにしても、この地震はワタシの人生において何度目の「大きな揺れ」だったのでしょうか。

ワタシが初めて大地震を経験したのは、中学2年生のとき、1978年の宮城県沖地震でした。震度は当時の基準で5程度でしたが、ブロック塀の倒壊などにより多くの死者が出ました。建物の耐震性も現在ほど高くはなく、倒壊した建物も少なくありませんでした。発生は夕方で、ワタシは必死に机の下に潜り込み、ただただ恐怖に耐えていた記憶があります。

その後も宮城県沖では、2003年、2005年と震度6弱の地震が相次ぎ、そして2011年には未曽有の被害をもたらした東日本大震災が発生しました。さらに2021年、2022年にも震度6強の地震が起きています。これらの地震のたびに、室内は物が散乱し、足の踏み場もないような状態となりました。どこから手をつけてよいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしたことも一度や二度ではありません。正直なところ、「もう勘弁してほしい」というのが偽らざる気持ちです。なぜこれほどまでに、宮城県ばかりが繰り返し大きな試練に見舞われるのか、理不尽さを感じてしまうこともあります。

しかし、こうして振り返ってみると、地震そのものを止めることはできなくとも、その後の備えや対応は確実に進化してきたとも感じます。建物の耐震化は進み、避難情報の伝達も迅速になりました。そして何より、「備える」という意識が地域全体に根付いてきたのではないでしょうか。

ワタシは行政書士という仕事柄、「万が一に備えること」の重要性を日々感じています。遺言書の作成や任意後見契約、各種契約書の整備などは、いずれも「いざというときに困らないための準備」です。地震に対する備えと、実は本質は同じではないかと思うのです。

大きな災害が起きたとき、残されたご家族が「何をどうすればよいのか分からない」という状況に陥ることは少なくありません。財産の所在、契約関係、意思の確認——こうしたものが整理されているかどうかで、その後の負担は大きく変わります。

地震は、忘れた頃にやってくると言われます。しかし本当に怖いのは、「備えを後回しにしてしまう自分自身」なのかもしれません。

今回の地震を機に、ワタシ自身も改めて考えさせられました。防災グッズの見直しだけでなく、法的な備えについても、今一度点検してみる必要があるのではないでしょうか。

揺れの記憶は消えることはありません。しかしその記憶を、「備え」という形に変えていくことはできるはずです。行政書士として、ワタシはそのお手伝いができればと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP