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還暦を過ぎても消えない「東京みれん」

連休も終わり,新入社員の皆さんも,職場での「お客さま待遇」も終わり,いよいよ本格的なビジネスマン生活へ船を漕ぎ出している頃ではないでしょうか。

連休中には,久しぶりにふるさとへ帰省したり,学生時代を過ごした街を訪ねたりして,友人たちと新社会人体験を語り合った方も多かったのではないかと思います。

ワタシが大学を卒業し,社会人になったのは1989年。世はまさにバブル景気の真っ只中でした。

当時,「SHINE’S(シャインズ)」という男性デュオが話題になっていました。杉村太郎氏と伊藤洋介氏によるユニットで,「現役サラリーマンが歌う」という異色のコンセプトが受け,テレビやラジオにも盛んに出演していました。プロデュースは秋元康氏。グループ名も「社員ズ」をもじったもので,まさに“会社員文化”を前面に押し出した時代の象徴のような存在でした。

そのSHINE’Sの曲に,「東京みれん」という歌がありました。

東京で学生時代を謳歌し,六本木で遊び,華やかな青春を送った若者が,就職によって稚内,新潟,仙台,鳥取,徳島,鹿児島など全国各地へ赴任し,大都会・東京を懐かしむという内容の曲です。

当時のワタシは,この歌に妙に共感していました。

還暦を過ぎ,長年勤めた会社を退職した今でも,あの頃の情景は不思議なくらい鮮明に思い出せます。

東北電力に入社し,「盛岡営業所お客さまセンターお客さま係勤務を命ずる」と書かれた辞令を受け取り,盛岡へ向かったのは,もう40年近く前の話になりました。

もちろん,当時のワタシにも「東京みれん」がありました。

もっとも,盛岡市は岩手県の県庁所在地であり,新幹線も停まる立派な都市です。当時,同期たちは宮古市,釜石市,一関市,水沢市(現・奥州市)など,岩手県内各地へ配属されていましたから,盛岡勤務のワタシは,とても恵まれている部類だったと思います。

それでも,4年間東京で学生生活を送った身には,盛岡の暮らしはなかなか堪えました。

まず,テレビ局の数が違います。東京では民放5局が当たり前でしたが,当時の岩手県内は民放2局のみ。飛ぶ鳥を落とす勢いだったフジテレビ系列局はなく,「笑っていいとも!」が午後3時から放送されていたのを今でも覚えています。

ちなみに,その後赴任した秋田県には,今でもTBS系列局がありません。同世代の友人には,「8時だョ!全員集合」をほとんど見たことがない人が結構います。

今の若い方には想像しにくいかもしれませんが,当時はインターネットもありません。Amazonもありません。情報格差も大きく,「東京に行かなければ買えないもの」が本当にたくさんありました。

そのため,休日になると,ワタシは高速バスに飛び乗り,いそいそと東京へ向かっていました。

当時はまだ新入社員でお金もありません。金曜の夜に盛岡を出発し,東京では大学時代の後輩の下宿に泊めてもらい,日曜の夜行バスで盛岡へ戻り,そのまま月曜の朝から出社する――そんな無茶なことを平気でやっていました。

今思えば,完全に若さ任せです。もっとも,あの頃は疲れるより先に,「東京の空気を吸えた」という満足感のほうが勝っていたように思います。

時代は変わりました。今では,インターネットで全国どころか世界中の情報が手に入ります。通販を使えば,地方にいても欲しいものは大抵買えます。地方と東京の情報格差は,昔に比べれば驚くほど小さくなりました。

それでも,東京という街は,今でもワタシにとって刺激的な場所です。ワタシはサラリーマン時代,東京へ出張する機会が多く、多い時には一年で40回以上東京に出張したこともあり、存分に東京の空気を吸っていました。しかし,会社を退職したあとは、そのような機会はなくなり,ワタシには再度「東京みれん」が訪れたのです。

できれば2か月に一度くらいは東京へ行き,旧友と語り合い,新しい店をのぞき,美味しい料理を食べ,街の空気を感じたいと思っています。

若い頃の「東京みれん」は,「東京へ戻りたい」という憧れでした。しかし,還暦を過ぎた今の「東京みれん」は,少し違います。東京に住みたいわけではないのです。ただ,「まだ世の中には,自分の知らないものがある」と思い出させてくれる街を,時々歩いていたいのだと思います。

時には,東京で刺激を受け,帰ってきたあとは,作業服に長靴姿で農地転用許可申請対象の農地を歩く。バランスをとりながら充実した日々を過ごしたいと考えています。

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