最新情報NEWS

四月一日の原点——新入社員のワタシが教えてくれたもの

今日は4月1日です。日本の多くの組織にとって新年度の始まりであり,多くの会社では入社式が行われる日でもあります。すっかりオジさんとなったワタシにも,もちろん入社式がありました。あれから37年。今でもこの日になると,不思議と当時の空気や気持ちが鮮やかによみがえってきます。

ワタシの入社式は1989年,平成元年の4月1日でした。東北電力の入社式は,当時の本社があった仙台市の「電力ホール」で開催されました。前日の3月31日に仙台近郊の温泉旅館に集合するよう指示があり,ワタシは仙山線で作並駅へ向かいました。車内にはスーツ姿の若者がたくさん乗っており,誰が見ても「同期」と分かる光景でした。

作並駅に到着すると,人事と思しき方から一枚の紙が配られました。そこには入社式までのスケジュールと細かな指示事項がびっしりと書かれていました。それまで会社から届く文書はどこか「お願い」の体裁だったのですが,この紙は明らかに「指示」でした。その瞬間,「内定者という,いわばお客さま扱いは終わったのだ」と実感しました。同時に,いよいよ社会人としての一歩を踏み出すのだという緊張感が込み上げてきたのを覚えています。

旅館に入ると,すぐに大広間へ集合です。そこで初めて同期と顔を合わせました。1989年はバブルの真っただ中。新入社員は大卒と高卒を合わせて530人,大卒だけでも前年の倍以上の140人という大所帯でした。なるほど,オレでも入社できたわけだ」と妙に納得したことも,今ではなつかしい思い出です。

前日に集合させられたのは,おそらく当日の遅刻防止と社歌の練習のためだったのでしょう。大広間では1時間ほどみっちりと社歌を練習しました。この社歌は,後にNHKの朝ドラのモデルにもなった古関裕而氏の作曲によるものです。明るく力強いメロディーは印象的で,会社を離れた今でも,好きなメロディーです。

夕食後は部屋に戻り同期との懇親の時間となりました。自費であれば飲酒も許され,初めて出会った仲間たちと語り合い,大いに盛り上がりました。あのときの高揚感と少しの不安が入り混じった空気は,今思い出しても特別なものです。

翌朝は配属先ごとにバスに分乗し,入社式会場へ向かいました。式そのものは,新入社員の名前が読み上げられ,代表者が辞令を受け取り,社長の訓示があるという,いわば型どおりのものでしたが,その場にいる自分が,確かに社会の一員として迎えられているという実感だけは,はっきりと感じることができました。

式が終わると,再びバスで配属先へ向かいます。ワタシは盛岡営業所への配属でした。同じ県内の事業所に配属される仲間が同じバスに乗り,一関,水沢,花巻と停車するたびに同期が少しづつ降りていき,最後に数人が盛岡へ着いたときの心細さは今でも忘れられません。新しい土地,新しい仕事,新しい人間関係。そのすべてに向き合う覚悟を試されているような気がしました。

初めての仕事は,電気の申し込みを受け付ける業務でした。今でいうコールセンターのような役割です。4月は異動や引っ越しが集中する時期で,電話はひっきりなしに鳴り続けます。何を言われているのか分からず,戸惑いながらも,必死で対応したあの日々は,社会人としての厳しさと基礎を叩き込まれた時間だったように思います。

その後,さまざまな業務を経験し,やがて希望していた燃料関係の仕事にも携わることができました。振り返れば,楽しい,恵まれたサラリーマン生活だったと感じています。

そして今,ワタシは行政書士という全く異なる仕事に就いています。立場も環境も大きく変わりましたが,あの1989年4月の自分の気持ちは,決して色あせていません。むしろ,今だからこそ,あのときの初心に立ち返る意味があるのだと思います。

「指示」を受けて動く側から,「依頼」を受けて応える側へ。立場は変わりましたが,大切にすべきことは同じです。目の前の相手の話をきちんと聞き,その人にとって最善の形を考えること。その積み重ねが信頼につながるのだと,あの新入社員のワタシが教えてくれています。

4月1日という節目の日に,久しぶりに初心を思い出しました。これからもワタシは,あの日の緊張感と前向きな気持ちを胸に,「お客さま第一」を体現できる行政書士であり続けたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP