最新情報NEWS

定年再雇用は「罰ゲーム」なのか?

既にブログにも書きましたが,先日,大学時代のサークル仲間と久しぶりに集まる機会がありました。同年代の仲間の話題の中心は,やはり「定年再雇用後の身の処し方」。ワタシは少し遅れて大学に入学したため,同級生よりも少し早めに定年を迎えましたが,彼らはまさに今,その選択の岐路に立っているところです。

多くの仲間は,これまで会社で責任ある立場を担い,懸命に働いてきた人たちです。だからこそ,年齢に達したというだけでラインを外され,閑職に回されることに納得がいかないという声が多く聞かれました。ワタシが60歳で会社を退職し,行政書士として新たな道を歩んでいることを知っている友人たちは,その選択に強い関心を持ってくれました。

ワタシは,独立して働くことの大変さと同時に,これまでとはまったく異なる世界に飛び込む面白さを正直に伝えました。「辞めること」ありきではなく,「自分が何をしたいのか」を見つめ直すことの大切さも,自然と話題に上りました。

とはいえ,仲間たちの抱える「理不尽」な思いは,痛いほどよくわかります。これまで会社のために尽くしてきたのに,年齢だけを理由に「ご苦労さまでした」と言われ,再雇用では一兵卒として再スタートを切らされる。その現実を,素直に受け入れるのは難しいものです

一方で,若い世代にチャンスを与え,組織を活性化させるためには,ある程度の世代交代も必要です。そのバランスをどう取るかが,これからの企業にとっての大きな課題なのだと思います。

ワタシが常々感じているのは,60歳以降の再雇用社員を「一人親方」のような存在として捉え,もっと自律的に働ける仕組みがあってもいいのではないか,ということです。たとえば,個々に目標と予算を与え,その成果に応じて翌年の処遇を決める。そんな制度があれば,再雇用社員も自分の力を発揮しやすくなり,企業にとっても大きな戦力になるはずです。

再雇用の社員は,能力がなくなったから管理職を外れるのではありません。あくまで「活性化のために後進に道を譲る」という組織の論理によるものです。であれば,年齢だけを理由に一律に扱うのではなく,それぞれの経験やスキルを活かす場を用意することが,企業の生存戦略としても有効なのではないでしょうか。

ワタシ自身,60歳を迎える前の数年間は,正直つらい時期でした。若手社員から「終わった人」と見られているような空気を感じることもありましたし,露骨な態度を取られたこともあります。逃げ出したくなったことも,一度や二度ではありません(とはいえ,会社生活のほとんどは非常に充実したものであり,会社にはとても感謝しています)

それでも,資格を取得し,今こうして再び現役として働けていることは,ワタシにとって大きな喜びです。60歳を過ぎても,新しいことを始めるのに遅すぎるということはありません。むしろ,これまでの経験を活かしながら,自分らしい働き方を模索できるのは,この年代ならではの特権だと感じています。

再雇用を「罰ゲーム」と感じてしまうのは,制度や環境がそう思わせているからかもしれません。でも,少し視点を変えれば,まだまだ自分を活かせる場所はあるはずです。企業側にも,そうした人材を活かす工夫と柔軟さが求められているのではないでしょうか。

これからの時代,60歳以降の働き方は,企業にとっても個人にとっても大きなテーマになるはずです。ワタシ自身も,まだまだ挑戦の途中。だからこそ,同世代の皆さんにも「もう一度,自分の力を信じてみませんか」と,そっと背中を押したい気持ちでいます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP