記述対策:丸暗記のどこが悪い?(再び)
世間的には「丸暗記」という言葉はあまり良い意味で使われることがありません。やれ,「丸暗記は子供の自由な発想を奪う」とか「丸暗記で得た知識は,応用が利かないしすぐに使えなくなる」とか散々なものです。確かにスマホも,ネットも身近にある時代,特定の情報を「知っている」こと自体については大きな価値はないのかもしれません。
また,ChatGPTなどAI全盛の今,ノウハウだって、ある程度インターネットから持ってくることができます。ですから,こういった指摘も,ある程度正しいのは事実です。
しかし,知識が全くない状況で,何かをやろうと思ったとき,おそらくスマホでいくら言葉を検索しても,その分野にある程度の基本知識というかバックグラウンドがなくては,一握りの天才を除けば何もできないでしょう。情報はできる限り、アタマの中に入っていた方が良いのです。AIがいくらノウハウを教えてくれたとしても,バックグラウンドの知識がゼロの中で,そこの書かれていることが正しいか否かはどのようにして判断するのでしょうか。
やはり何らかの仕事をするとき,「予備知識ゼロ」では仕事は成立せず,AIやネットが与えてくれた知識を支えるため,自分の頭にインプットされた豊富な知見は必須なのです。そして,その知識やら経験の多い人の方が良い仕事ができるのだと思います。
今回の問題集の丸暗記について人に話したときの反応は大きく分けて2つでした。ひとつは,「スゴいね!オレにはとてもそんなことはできない。無理」というものともう一つは「そんなに覚えたことはスゴいけど,丸暗記した問題なんてそうそう的中するものじゃないでしょ?そんなことに意味があるの?」というものでした。
一つめの反応についてコメントすることはありませんが,もう一つのコメントについては「意味あります。重要です。」が答になります。
ご指摘の通り,丸暗記した問題がそのまま的中する幸運はあまりないかもしれません。でも,暗記の過程で覚えた答の中にちりばめられた個々の知識は,それ自体,単体で役に立ちますし,複数の答を丸暗記することによって,頭の中で有機的に結合して応用が利くようになるのです。
「丸暗記」というと,頭の中に断片的な知識が放り込まれ,相互にリンクすることなく,単純に出し入れすることかと思われがちですが,インプットした知識は,あたかもそれらが生き物のように頭の中で結合し,積み上がり,体系的な知識になってゆくのです。
丸暗記の効用はまだあります。法律というのは「独特の物言い」があり,民法などでは同じようなことを書いたつもりでも,キーワードとなる単語や物言いが書かれていないと全く点にならない事があります。そういった,各法令のお作法,暗黙のルールも記述問題を丸暗記をすることによりノウハウとして蓄積されてゆきます。
また,解答条件の「40字程度」という長さの感覚も自ずと身につき,「○○について論じなさい」と言われた時に制限内で論ずるときに記載すべきキーワードの優先順位,分量が感覚的に把握できるようになります。「なんとなく」ではありますが,こういった感覚を身につけることも,記述試験対策として非常に有用でした。丸暗記にも十分に意味があるのです。

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